▇PPBuy.JP 当サッカーショップは サッカーユニフォーム 国内最大級オンラインサッカー用品通販サイト

▇<a href="http://PPBuy.jp">PPBuy.JP>国内最大級オンラインサッカー用品通販サイト!当サッカーショップは、サッカーユニフォーム、サッカースパイク等のサッカーグッズを販売しています</a>

ライフ・ワーク・バランスを考える

前回のブログで、「日本人の労働時間が長い原因は残業を評価する誤った精神論にある」と書いたところ、多くの読者からたくさんのご意見を頂戴した。そこで、再度、この問題について考えてみたい。

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">国内最大級オンラインサッカー用品通販サイト</a>

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">当サッカーショップは</a>

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">サッカーユニフォーム</a>

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">サッカースパイク等のサッカーグッズを販売しています</a>

若い時、必死に仕事に打ち込むことは是か非か

最も多く寄せられたコメントは、「若い時、必死に仕事に打ち込むことは、自分を鍛える意味でもかなり有効ではないか(≒長時間労働を行ってもいいのではないか)」というものだった。確かに、「石の上にも3年」という言葉があるように、新しい仕事に就いた時等は、「ともかく我武者羅に仕事に打ち込む」ことは、キャッチアップのためにも必要でもあり、また、かなり意味があることだと考える。これは、何も、若い時に限った話ではない。人生では「踏ん張りどころ」や「正念場」が、誰にも等しく訪れる。友人のスペイン人のバンカーは、普段は、2か月近い夏休みを取っていたが、ある銀行の頭取として、経営の立て直しに招かれた時は、土日もなし、休暇もなしで、1年365日、ひたすら仕事に取り組んでいた。人生を時間軸で考えた時、ひたすら必死に仕事に打ち込む時期があっても当然いいと思う。大学時代が、必死に勉学に打ち込むべき時期であるように。

 

しかし、だからと言って、例えば若い人に職制が長時間労働を強いるようなことは、決してあってはならないと考える。それは、パワハラそのものであり、「俺が鍛えてやる」等といったそれこそ時代錯誤の不毛の精神論の発露に他ならない。必死に仕事に打ち込むことは、原則としては、あくまで自発的な営為であるべきだ。その意味でも、時間を切り売りする労働ではなく、自分のアタマで考える裁量的労働が、21世紀の労働観の中核に据えられるべきだろう。また、若い時や大変な時は、それこそ、「火事場の馬鹿力」で、感覚的には多少の無理がきくことも紛れもない事実だが、一方で、ありとあらゆる医学的所見が、例え、若い人であっても、長時間労働は、一般に注意力の低下をはじめとして労働生産性の低下をもたらすことを指摘していることを、決して忘れるべきではあるまい。

 

また「残業の多い職場は、要員が不足しているか、仕事が一部の人に片寄っている場合がほとんどである」との指摘も多くいただいたが、全くその通りであろう。これは、言い換えれば、管理者のマネジメント能力の不足に他ならない。全体の仕事量と要員のバランスを維持することや、部下の一人一人の適性を良く見て、実質的に過不足なく仕事を割り振ることは、(実は、言うは易し行うは難しで、なかなか出来ないことではあるのだが)管理者のマネジメントの一丁目一番地に他ならない。

 

残業が増えるのは、「何よりも社内で無駄な会議が多いからだ」というコメントも多かった。これも、管理者のマネジメント能力の問題であろう。会議の前に十分準備をすることは当然として、例えば、「情報をシェアする会議なら30分、何かを決める会議は1時間」、といった社内ルールを定めて、会議の冒頭にチェアーが、今日の会議の目的を明確に述べる、あるいはメンバーを必要最小限に絞り込む等、会議を効率化する方法はいくらでもあり、また、よく知られているはずだが、それらが徹底されないのは、やはり、管理者のマネジメント能力の不足というしかない。諸外国に比較してわが国で一番劣っているのは、実は管理者のマネジメント能力なのかもしれない。

 

 

 

ワークよりライフが大切だ

ところで、世間では、ワーク・ライフ・バランスという表現が一般的によく使われているが、これはちとおかしいのではないか。日本人の労働時間は、世界的には、かなり長くて平均1728時間もあるが、それでも1年8760時間のわずか20%を占めるに過ぎない。自己啓発等実質的に仕事のために費やしている時間を最大限重ねても、せいぜいが、全体の2~3割といったところだろう。即ち、全体の7割以上の時間は、ライフ、即ち、食べて寝て遊ぶことに費やされているのである。そうであれば、ライフ・ワーク・バランスという表現の方が、はるかに実態に近いのではないか。

 

また、こうした時間配分を、冷静にながめてみると、人間にとっては、共に食べて寝て遊ぶパートナーや友人の存在が、いかに大きいものであるかということも一目瞭然となる。ライフに比べれば、全時間の2~3割を占めるに過ぎないワークは、実は人生の上では、極論すると、どうでもいい、とるに足らないことだ、と見ることも十分可能なのだ。逆に言えば、ワークは、どうでもいいことだからこそ、「思い切って正しいと信じることをやればいい」「上司や他人の目を気にする必要などどこにもない」「相性が悪ければどんどんチェンジ、もしくはスピンアウトすればいい」等といったいい意味での「開き直り」も、また、可能になるのではないだろうか。

 

 

働くことは世界経営計画のサブシステムである

ライフの真の目的は、動物である人間にとって一番大切なシゴトである次の世代を育てて上手に引き継ぐことにある。動物の全エネルギーの95%以上は、そのために費やされているという生物学者の本を読んだ記憶があるが、それに比べると、2~3割というワークの比率は、かなり大きなものがある。つまり、人間にとっては、働くことも、また、とても大切なシゴトなのだ。

 

では、ワークの意義はどこにあるのだろうか。人間は誰しも、周囲の世界をある程度は理解して毎日働いている。この会社はこういう会社だとか、こういう社風だとか。そして、その周囲の世界に、「100%」満足して働いている人はおそらくどこにもいないだろう。上司がもう少し物分りがよければとか、社員食堂がもう少しおいしければ、とか、誰しも「ここを変えたい」「これはなんとかしたい」という気持ちをもって働いているのが、人間社会の常であろう。その意味で、地球上の全ての人間は、周囲の世界を変えたい、もっと良くしたいという「世界経営計画」を持っているのである。アラジンの魔法のランプの精であれば、世界を瞬時に変える(メインシステムを担う)ことは、おそらくたやすい相談であろう。しかし、生身の人間にとっては、そうは問屋が卸さない。人間が出来ることは、周囲の世界を少しでも変えるために、自分は何が出来るのか、何を分担して生きていくのか、働いていくのか、ということしかないのだ。つまり、人間は、世界経営計画のサブシステムを担って、生きて働いていくことしか出来ない動物なのである。それが生きる意味であり、働く意義なのだ。そうであれば、株式会社に勤めようと、NPOに勤めようと、あるいは公務員であろうと、何一つ、働くことについて、本質的な違いはないのだ。この意味からすれば、全ての職業が等しく尊いことも、また、容易に理解できるだろう。

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">国内最大級オンラインサッカー用品通販サイト</a>

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">当サッカーショップは</a>

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">サッカーユニフォーム</a>

▇▇▇▇▇<a href="http://www.PPBuy.jp">サッカースパイク等のサッカーグッズを販売しています</a>